Seminar talk @ Brisbane

2009年は、ブリスベンのセンター CECS における共同セミナーから海外研究発表が始まる。申請した科研プロジェクト、またセンターとの共同プロジェクトとの関連で発表した題目はつぎのとおり。

  • N. Kamimura, ‘Rhetorical Approach to the Poor and Poverty in Augustine’s Enarrationes in Psalmos’, Annual meeting of the Centre for Early Christian Studies, Australian Catholic University, Brisbane, QLD: 30-31 January 2009.

Brisbane 2009
このミーティングでは、これまでの学会の名前 Western Pacific Rim Patristics Society を、Asia-Pacific Early Christian Studies Society = APECSS へ変更することがアナウンスされた。これで略称を呼びやすくなる。また、今年 (2009) 9月の APECSS は仙台でひらかれること、さらに来年は韓国でのミーティングも計画。

Conference talk @ Brisbane

1月についで、オーストラリアの学会 Australian Early Medieval Association に参加、研究発表をおこなうとともに、ブリスベン在住の友人と交流。

  • N. Kamimura, ‘Peregrinatio animi and the peregrinus Image in the Letters of Augustine’, Australian Early Medieval Association fifth annual conference, Sebel Conference Suites, Brisbane, QLD: 1-3 October 2008.

発表については、専門領域の研究者が少なかったとはいえ、Prof. Allen からコメントをもらい、また論文の投稿先について有益な助言をうけることができたのは幸い。学会に参加しつづけることで、知己がふえてくることもまた肝要だと納得。
Brisbane 2008
Brisbane 2008
Brisbane 2008
今回は日程上盛りだくさんで、学会にさきだって ACU の研究所を訪問、図書館で資料調査を行なうよう便宜を図ってもらうとともに、豪・韓・日の共同研究プロジェクトのミーティングに参加して今後の方針について意見交換を行なうとともに,短いペーパーを読み上げた。これは、2008年4月から中途参加している「二国間交流事業・転換期における「貧困」に対する取り組みの共同研究──初期キリスト教をモデルにして」と、申請中の科研費プロジェクトに関連するため。学会参加後は Pauline の自宅に招かれて会食、歓談。

Conference talk @ Melbourne

年明けに Prayer and Spirituality 5th Conference に参加。

  • N. Kamimura, ‘The Emergence of Poverty in Augustine’s Early Works’, Prayer and Spirituality in the Early Church 5th Conference, Australian Catholic University, Melbourne, QLD: 9-12 January 2008.

2回目のメルボルンということで、市内の西に宿をとり、慣れてきたトラムで大学に移動、一日の予定が終わると市内を色々と散策。はじめて摂氏40度越えを体験、かなり乾燥していたのでそれほど高温とは感じなかったが,街中に歩き出して人々がなぜ顔の前でしきりに手を振っているかに納得,自分の顔にも水分を求めて小さな羽虫が飛びついてきた。おどろいたのは翌日、気温が一気に25度以下に下がったこと。South Back だからと教わって、なるほど南風は南極からの風だからクールダウンするのかと理解。
発表については、はじまっていたプロジェクトに関連して質問を受けることで有意義なものになった。オーストラリアの研究チームとの研究交流がすこしづつ進展することによって、共同研究の重要性を認めるとともに、その可能性をいかに展開するのか、その方策をさぐる機会になったと思う。

Conference talk @ Radnor

オクスフォードについで、今度は北米アウグスティヌス派の拠点ヴィラノヴァでひらかれている Patristic, Medieval, and Renaissance Studies conference に参加した。
Villanova 2007
Villanova 2007
東京からの直行便がないので行きはワシントン DC で乗り換えのはずが天候不順で乗り継ぎ便がキャンセル、当初はラガーディアへ移動しろと言われるもその後の代替便にキャンセル待ちで何とか乗り込み夕刻到着、列車も乗り間違えて、深夜最寄り駅からたまたま駅に来た地元の人に宿舎まで送ってもらうという波乱の幕開け。
発表自体は無難な感じで終了。もっぱらアメリカの研究者が主体で、北米の中世哲学研究の動向に詳しくないかぎり、はじめての国際学会としてここは敷居が高いのではないか。

  • N. Kamimura, ‘Friendship and the Reading Experience in Augustine’, 32nd International Patristic, Medieval, and Renaissance Studies conference, Villanova Conference Center, Radnor, Pa.: 19–21 October 2007.

会場の Villanova Conference Center は、設備が整っていて快適で、滞在した部屋もすばらしかったが、一方周りは自然豊かだったけれども、散策しようにも地理不案内で期間中はほとんど缶詰め。

Conference talk @ Oxford

オクスフォードで4年に1回開かれている「国際教父学会」第15回研究集会に参加、巨大な学会をはじめて経験する。
Oxford 2007
Oxford 2007
話には聞いていたが、宿舎は Christ Church のなかの Peckwater Quad、食事はハリー・ポッターのロケーションにも使われたという食堂で、学会期間中はプログラムの合間をぬって街中を歩きまわって観光、という大変刺激的な1週間をすごした。

  • N. Kamimura, ‘Augustine’s Scriptural Exegesis in De genesi ad litteram imperfectus liber’, 15th International Conference on Patristic Studies, Oxford University, Oxford: 6-11 August 2007.

発表は、質問も含めて時間が20分きっちりに制限されていたので、論点を絞りこまないとならず窮屈だったけれども、さいわいなことに司会者の Prof. Karla Pollmann が親切で、発表が終ったあとにもすこし議論することができた。Examination School で同時に何十ものセッションが並行して進むなか、いろいろなセッションに出て質問も少しはできたし、部屋から部屋へとめぐって多くの人と話し合ったのは有意義だったのは間違いないが、学会最終日に近づくにつれ、疲労がたまってきたのは致し方なし。
学会中日に WPRPS のメンバーがあつまってパブで親交を深める機会があったのも、また初日は Christ Church うらでガーデン・パーティがあったのも非日常的な経験。

Conference talk @ Yokohama

横浜・日吉の慶應義塾大学でひらかれた中世哲学会第55回大会において発表しました。発表タイトルはつぎのとおり:

  • 上村直樹「アウグスティヌス『未完の創世記逐語註解』における聖書解釈の方法」

すでに考察してきた『マニ教徒に対する創世記注解』につついて、未刊におわった注解の未刊の所以と聖書解釈の方法の展開との関係について検討しました。発表自体は可もなく不可もなくといったところでしょうか。今回は開催校の庶務取りまとめをつとめたので,学会の最中は自分の発表以外の時間いろいろと忙しかったです。とはいえ、以前も同じような役回りをつとめたことがあったので,また手伝ってくれる人々がいたので,それほど大変というわけでもなかった。

Conference talk @ Nagoya

「環太平洋西岸教父学会」第3回国際研究集会が初回についで国内でひらかれたので、3回目、ほぼ一年ぶりの国際学会に参加する。

  • N. Kamimura, ‘Augustine’s Scriptural Exegesis in De sermone domini in monte’, Western Pacific Rim Patristic Society 3rd conference, Nanzan University, Nagoya: 29 September-1 October 2006.

WPRPS も3回目になって、すこしづつ知った顔もふえてきた。発表は、可も不可もなくといったところか。準備段階でかなり詳細にテクストを分析し、論拠を調べあげたので、論文投稿にむけて準備をすすめていかなくては。
会場は大学の普通の教室で、高校時代にもどったかのような雰囲気。オーストラリア勢も、市内中心部のホテルにまとまって宿泊していたが、彼らにすれば部屋はかなり狭かったと思う。

Seminar talk @ Kyoto

一年ぶりに京都に出かけて,京大中世哲学研究会(第185回)において、研究発表を行ないました。発表タイトルはつぎのとおり:

  • 上村直樹「アウグスティヌス『魂の不滅について』における魂不死の論証の意義」

アウグスティヌス自身が理解しがたいと評している『魂の不滅について』における魂不死の論証の妥当性について,先行研究を踏まえたうえで検証するとともに,魂不死の論拠としてアウグスティヌスが考えている真理と学知の同一性という観点が古代哲学史の流れのどこに棹さすかを検討しました。発表後の議論を通して,先行研究を十分に咀嚼することの難しさをあらためて確認するとともに,アウグスティヌスの初期以降の「魂論」の展開も考察しなければならないという新たな課題が出てきたように思います。
 この研究会では大変ありがたいことに,遠隔地からの参加者への旅費の補助を出していただけることになって助かりました。即決してくださった幹事に深謝。こういった補助が他の研究会でも広まってゆけばと思います。

Conference talk @ Melbourne

「環太平洋西岸教父学会」第2回国際研究集会としても開催された Prayer and Spirituality in the Early Church 4th Conference に参加を申しこみ、はじめての「海外」学会に参加する。
発表は反応よく、うまくいったのではないかと思う。ただし、プログラムのなかで一番最後になっただけでなく、パラレルセッションの発表が前のキャンセル枠へ移動したので、Plenary session のまえにもかかわらず、全員が部屋に集まってきて何ごとぞと大変緊張した。

  • N. Kamimura, ‘Augustine on the Friendship and the Ascent Towards God’, Prayer and Spirituality in the Early Church 4th Conference, Australian Catholic University, Melbourne, QLD: 6–9 July 2005.

あいかわらず発表後の質疑応答と学会のあいだのコミュニケーションに四苦八苦。日本からの参加者が多いのは助けになって気が楽だが、参加者のひとりから、あなたは喋るのはへただが、発表の英語は大変立派ですね、と言われて応答に窮した。訓練を重ねる必要性大。
投稿が決定していた論文の査読者 Prof. Allan Fitzgerald とはじめて会い、貴重な刺激を受けた。宿舎の Ormond College は快適、居室は大学時代の学生寮によく似た作りでなつかしくなった。朝食のメニューが充実していて、毎日ともなれば飽きるかもしれないけれども、農業国だけに食材が新鮮だと感じた。メルボルン市街もトラムに乗って自在に移動、市内をもろもろ歩きまわった。たまたま入ったレストランでギリシャ料理を堪能し、あとで聞いたところではギリシャ国外では最大のギリシャ人コミュニティーがここメルボルンにあるということで,なるほど一画はそういった所以からかと了解。はじめての海外を堪能できたことは記憶に残ると思う。

Seminar talk @ Kyoto

京都にでかけて,京大中世哲学研究会(第179回)において研究発表を行ないました。発表タイトルはつぎのとおり:

  • 上村直樹「アウグスティヌス『ソリロクィア』冒頭の「祈り」研究敍論」

このテーマについては,この研究会の雑誌『中世哲学研究 VERITAS』において1980年代半ばから刊行された山田晶氏の諸論文(文献表作成に当たってまとめたところ計13篇)があり、それら一連の考察を踏まえるとともに,諸論文 (Du Roy, Doignon, 荒井、中川等) も検討したうえで,「カッシキアクム対話篇」から続けられたアウグスティヌスの考察の射程を『ソリロクィア』冒頭の祈りの構造のなかに捉えようと試みましたが,まだまだ考察不十分といったところで,当日の出席者の方々からの質問におおきく裨益されました。
この回で発表したのははじめてで,参加者は学会などで面識のある人ばかりですが,議論の時間が十分にあって大変でしたが刺激を受けました。京都の街はコンパクトサイズで,研究会のあとの懇親会への移動も徒歩,自転車で来ている人もいて、拡がりすぎた東京圏に住んでいるものとしては羨ましいかぎり。