基盤研究C 2014–2016「研究概要」

アウグスティヌスにおける心性の複層性と修道制への関与


基本データ

  • 研究代表者 上村直樹(東京学芸大学教育学部・研究員)
  • 海外研究協力者 Pauline Allen (Director of the Centre for Early Christian Studies, Australian Catholic University)
  • 研究期間 2014年度–2016年度
  • 研究分野 思想史
  • 審査区分 一般
  • 研究種目 基盤研究 C
  • 研究機関 東京学芸大学
  • 課題番号  26370077

研究の目的

本研究は、古代末期の地中海世界において人間の生がいかに捉えられていたかを問いなおすとともに、その問いに答える思想の展開を明らかにするという思想史的な視点から、古代人の「心性」を包括的に理解することを目的とする。この目的にむかって本研究は、1: 貧困に関するアウグスティヌスのとりくみを考察した研究、2: その初期の聖書解釈の実態を考察した研究、これら二つの研究成果をふまえ、心性の複層性についてのアウグスティヌスの思想を、古代の哲学的な生の規定、また、古代修道制との関連において短期間にしぼって検討する。本研究は、海外研究協力者との密接な協力をふまえて進められる。

アウグスティヌスの「貧困」についての研究と、その初期の聖書解釈に関する研究とを出発点に、本研究では、中期の主著『告白』(400–402年執筆)にさきだつおよそ 10 年に期間をかぎり、「心性」の複層性に関するアウグスティヌスの理解を、「生の技法」という哲学的な生の規定と古代修道制との関連において包括的に解明することにとりくむ。

ここで注意すべきは、短期間に書かれたテキストを対象にするとはいえ、それらを複眼的に分析し、その結果を総合して考えなければならないということである。問題は三項にまとめられる。

  • 古代の哲学的な生の規定は、いかに受容されるか。
  • 生の範型は、修道制との関わりのうちに、いかに探求されるか。
  • 心性の複層性は、同時代の環境との関連において、いかに捉えられるか。

研究代表者にとって第一の課題は、A の問いに答えることである。出発点の二つの研究から明らかになったのは、社会と言語という二局面の生へのアウグスティヌスの反省作用である。この反省をてがかりに対象となるテキストを分析し、「生の技法」について考察する。あわせて、社会と言語以外のいかなる生の局面において、アウグスティヌスがこの技法に言及しているかを明らかにする。これは、本研究の基盤をととのえるために入念に検討されるべき課題である。

これと平行する課題は、B の問いに答えることである。生の規定についての考察が、キリスト教的な生の範型への関心に連動すると想定されるからである。この時期のアウグスティヌスは、友人との修道的な共同体を構築することにとりかかり、その活動をふまえた著作を公刊している。そこで、『83諸問題集』『カトリック教会の習俗とマニ教徒の習俗』『修道士の働き』を中心に原典テキストを分析し、生の範型に関するアウグスティヌスの探求の過程を明らかにする。

ついで、これらの分析をふまえて、C の問いに答えることをめざす。この時期のアウグスティヌスが、ストア派や新プラトン主義などの古代諸学派、東方教父から影響をうけ、折衷主義的な思想傾向をもっていたこと、また、キリスト教的な生を標榜する異端、分派と関わったことが明白である。そこで、アウグスティヌスがこうした錯綜する環境のもとで、宗教的な次元と世俗的な次元とが複層的に交差する心性をいかに捉えたかを明らかにする。

研究の背景

古代地中海世界に生きた人々の心性(時間や空間、生や死などに関する心の動き)に関する研究は、ヨーロッパ史、古代哲学史、古代キリスト教史・教父学というそれぞれの研究領域のなかで固有の観点からアプローチされてきた。これらの研究動向のなかで、「心性」という主題への関心はまず、1960–70年代その第三世代にいたったフランスのアナール学派に顕著にみとめられる。これまでの歴史学がみすごした心性に着目する歴史認識の手法は、フェルナン・ブローデルを中心に、社会集団の変化を持続的に捉える成果として結実した。この歴史学の転換と相関しつつ、西欧史における主体の系譜的な展開を明らかにしたフランスの哲学者ミシェル・フーコーは、その最晩年の著作(『性の歴史』第 2 巻『快楽の用法』と第 3 巻『自己への配慮』)では、「生き方としての哲学」という古代思潮に根強い伝統を解明する研究にも強く影響をうけた。これは、フランスの古代哲学史家ピエール・アドによって提唱され、古代哲学における「生の技法」という規定のもとに心性を捉える試みである。一方、こうした革新とは別に、古代キリスト教史の領域では、キリスト者の生き方の模範について考察する研究成果が蓄積されてきた。これは、古代エジプトにはじまる修道制が地中海世界の東西にひろがった経緯とその実態に関する研究である。さらに近年、地中海世界の社会的、文化的、宗教的な環境の変化に着目する「古代末期」研究が、英米史学界を中心にその勢いをましている (Cf. G. Bowersock, P. Brown, and O. Grabar (eds.). 1999. Late Antiquity: A Guide to the Postclassical World. Cambridge, MA)。

本研究の研究代表者上村直樹は、2009–2011年度に研究分担者として遂行した「転換における「貧困」に関するアウグスティヌスの洞察と実践の研究」、また、研究代表者として 2011–2013年度に遂行中の「アウグスティヌスにおける聖書解釈の理論と実践」において、アウグスティヌスの「貧困」へのとりくみをつちかった思想を解明し、聖書解釈の実態を検討することをとおして、社会と言語という二方向にむかう人間の生の局面が、その分断を分断のままにキリスト教的な心性によって包摂されている可能性を見出すにいたった。さらに、平成 25年 10月豪州メルボルンでひらかれた「初期キリスト教学会」での研究発表をとおして、アウグスティヌスの生への関心が西方修道制の成立場面と連動することに着目した (Cf. Beatrice, P. F. 2010. “Augustine’s Longing for Holiness and the Problem of Monastic Illiteracy.” Studia Patristica 49: 119-134)。

欧米を中心に活発なアウグスティヌス研究において近年注目されるのは、アウグスティヌスに先後する古代教父の研究が精緻なレベルに到達し、また、「古代末期」研究の進展によって、4-5世紀の実態が社会的、文化的、宗教的な観点からいっそう審らかにされることで、アウグスティヌスの思想の生成と変容を新たな視座のもとに捉える研究があらわれはじめたことである (Cf. M. Vessey (ed.). 2012. A Companion to Augustine. Chichester, West Sussex; Malden, MA)。とはいえ、歴史学、哲学、教父学の領域において、それぞれに問われてきた人間の生についての研究を相互に架橋し、より広汎な視座から古代人の心性を解明しようとする試みは緒についたばかりである。本研究はそうした研究上の欠落をうめるために立案されたものである。